戦国・関ヶ原
関ヶ原の戦いの裏側
天下分け目を、政権構造・戦場地形・後世資料から読み直す10問。
このページでは全10問を、解説と出典リンクつきで読めます。まず自分で答えを考えてから「答えと解説を見る」を開いてください。定説が分かれる論点は「条件付き」と明記し、論点メモを添えています。出題形式で解きたい方はWeb版アプリへ。出典の選び方は出典つきクイズの作り方をご覧ください。
Q1. 関ヶ原の戦いが行われた日付と主戦場の組み合わせとして正しいものはどれ?
- A. 慶長5年(1600)9月15日、美濃国関ヶ原
- B. 天正10年(1582)6月2日、京都本能寺
- C. 天正3年(1575)5月21日、三河国長篠
- D. 慶長19年(1614)12月、大坂城周辺
答えと解説を見る
正解: A. 慶長5年(1600)9月15日、美濃国関ヶ原
国立公文書館は、慶長5年9月15日に家康方と三成方が関ヶ原で対峙したと説明している。文化遺産オンラインでも関ヶ原古戦場として、開戦地・決戦地などが指定されている。
出典: 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館) / 関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン)
Q2. 関ヶ原本戦で、東軍・西軍の兵力規模としてもっとも近いものはどれ?
- A. 家康方約7万人、三成方約8万人
- B. 家康方約700人、三成方約800人
- C. 家康方約20万人、三成方約3万人
- D. 双方とも約1万人でほぼ同数
答えと解説を見る
正解: A. 家康方約7万人、三成方約8万人
関ヶ原は少数の英雄だけで決まった決闘ではなく、約7万対約8万と説明される大規模な会戦だった。古戦場の指定範囲にも複数の陣地や戦闘地点が残る。
出典: 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館) / 関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン)
Q3. 関ヶ原を「家康と三成の個人的ケンカ」だけで説明しにくい理由はどれ?
- A. 豊臣秀吉死後の五大老・五奉行による政権運営と、その均衡崩れが背景にあるから
- B. 戦いの直前まで日本に武士が存在しなかったから
- C. 豊臣秀吉が戦場で直接指揮していたから
- D. 関ヶ原は江戸時代末期の農民一揆だったから
答えと解説を見る
正解: A. 豊臣秀吉死後の五大老・五奉行による政権運営と、その均衡崩れが背景にあるから
国立公文書館の解説は、秀吉死後の豊臣政権運営、前田利家死去後のパワーバランス変化、反家康派形成という流れを示している。人物対立だけに縮めると背景を落としやすい。
出典: 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館) / 関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン)
Q4. 関ヶ原古戦場が、一つの碑だけでなく広い戦場跡として見られる理由はどれ?
- A. 開戦地・決戦地・徳川家康陣地・石田三成陣地・首塚など
- B. 江戸城天守・大阪造幣局・東京駅丸の内駅舎
- C. 厳島神社・平等院鳳凰堂・法隆寺金堂
- D. 五稜郭・函館奉行所・戊辰戦争碑のみ
答えと解説を見る
正解: A. 開戦地・決戦地・徳川家康陣地・石田三成陣地・首塚など
関ヶ原古戦場は、単一の碑だけではなく、開戦地、決戦地、徳川家康最初・最後陣地、石田三成陣地、首塚など複数地点から成る史跡として説明される。
出典: 関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン) / 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館)
Q5. 小早川秀秋の動きは、関ヶ原の勝敗にどんな影響を与えたとされる?
- A. 三成方が総崩れとなるきっかけになったとされる
- B. 関ヶ原の戦いには一切関係せず、江戸後期の商人だった
- C. 戦いの前にすでに死亡していたため、史跡には名前が出ない
- D. 徳川家康の実子として将軍になった人物である
答えと解説を見る
正解: A. 三成方が総崩れとなるきっかけになったとされる
国立公文書館は「金吾」小早川秀秋の裏切りを三成方崩壊の契機として説明し、文化遺産オンラインも決戦地の説明で小早川秀秋の反旗に触れている。
出典: 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館) / 関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン)
Q6. 関ヶ原の「決戦地」は、どのあたりを指すと考えられている?
- A. 石田三成が最後の決戦を試みた笹尾山下一帯
- B. 京都御所の紫宸殿前
- C. 江戸城本丸の大広間
- D. 長篠城の本丸跡
答えと解説を見る
正解: A. 石田三成が最後の決戦を試みた笹尾山下一帯
関ヶ原古戦場の解説では、決戦地は小早川秀秋の反旗後、大谷吉隆が戦死し、小西・宇喜多両軍が破れ、石田三成が最後の決戦を試みた笹尾山下一帯と説明される。
出典: 関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン) / 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館)
Q7. 関ヶ原合戦図屏風を史料として読むとき、注意したい点はどれ?
- A. 江戸時代の紙本著色・六曲一双屏風で、戦場を南方から俯瞰して描く
- B. 戦い当日に徳川家康本人がスマートフォンで撮影した写真
- C. 明治政府が作った選挙ポスター
- D. 室町時代の茶道具で、戦場とは無関係
答えと解説を見る
正解: A. 江戸時代の紙本著色・六曲一双屏風で、戦場を南方から俯瞰して描く
この屏風は江戸時代の作品として登録され、関ヶ原合戦当日の様子を戦場南方から俯瞰した構図と説明される。後世の絵画資料なので、直接の戦闘記録とは分けて読む必要がある。
論点メモ: 屏風は後世の美術資料であり、同時代の戦闘記録そのものではない。
出典: 関ヶ原合戦図屏風(文化遺産オンライン) / 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館)
Q8. 関ヶ原合戦図屏風を史料として読むとき、なぜ注意が必要?
- A. 陣形表現などを参考にできるが、江戸時代の後世資料として史料批判を添える
- B. 屏風に描かれたことは、すべて秒単位で戦場実況された事実と扱う
- C. 屏風は関ヶ原と無関係なので、題名も無視する
- D. 美術資料は歴史学習で一切使ってはいけない
Q9. 岡山烽火場を関ヶ原古戦場の一部として見るとき、どんな役割に注目する?
- A. 東西両軍の陣地を一望できる地点とされる
- B. 天守閣の最上階にある茶室とされる
- C. 鉄砲を製造した江戸の工場とされる
- D. 宮本武蔵が『五輪書』を書いた洞窟とされる
答えと解説を見る
正解: A. 東西両軍の陣地を一望できる地点とされる
岡山烽火場は、東西両軍の陣地を一望できる地点と説明される。戦場を読むには、人物名だけでなく地形と視界のポイントも効いてくる。
出典: 関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン) / 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館)
Q10. 関ヶ原の戦後、徳川家康はどのような流れで幕府を開いた?
- A. 慶長8年(1603)に家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く流れにつながった
- B. 戦後すぐに鎌倉幕府が成立した
- C. 徳川家康は関ヶ原後に豊臣秀吉の家臣に戻った
- D. 関ヶ原の戦いの翌日に明治維新が起きた
答えと解説を見る
正解: A. 慶長8年(1603)に家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く流れにつながった
国立公文書館は、関ヶ原後の慶長8年に家康が征夷大将軍へ任ぜられ、江戸幕府を開いたことを、武家の棟梁として頂点に立つ重要な契機として説明している。
出典: 関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館) / 関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン)
このテーマの主な出典
関ヶ原の戦い|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー(国立公文書館)
関ヶ原古戦場(文化遺産オンライン)
関ヶ原合戦図屏風(文化遺産オンライン)